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執筆者の写真長谷川 将士

「SONYのアフリカ市場開拓史」前編~アフリカにおける日本初のリープフロッグ事例の誕生~

更新日:2023年10月20日

10月12日、SONYグループが1000万ドルを投じて、アフリカにおけるエンタテインメント事業に特化したコーポレートベンチャーキャピタルの創設を発表しました。アフリカ、さらにはエンターテイメント領域という、世界的にあまり前例がない意欲的な挑戦です。


かつてアフリカではアジア人を見かけると、道行く人が「ジャパニーズ!」と声を掛ける時代がありました。アフリカ諸国が独立する以前から、高品質な製品と泥臭く現場を練り歩くビジネスマンによって、日本人と日本製品の認知度は一気に向上しました。


そうした日本の地位向上に貢献した企業の一つがSONYです。実は、SONYはアフリカ市場の先駆者として、市場を開拓してきた経緯があります。本記事では前後編に分けて、SONYのアフリカ進出の歴史を紹介します。


創業者が言った、「すぐ行け、アフリカがお前を待っている」


1959年、SONYは現地の代理店を経由して、外国部が直接アフリカの顧客と商売を行っていました。ファックスも無く、国際電話も料金が高くて簡単には使えない時代。代理店から毎日大量に届く商品の問い合わせ、クレームレターをあの手この手で処理していました。


そんな中、「海外貿易要員第1期生」として入社後数カ月であった卯木肇(はじめ)氏(後にアイワ代表取締役社長、スカイパーフェクト・コミュニケーションズ代表取締役会長等を歴任)は、創業者の一人である盛田昭夫氏からアフリカ行きを急かされていました。


植民地期の真っ只中、本国照合などでビザ取得にも3ヵ月はかかります。


それでも盛田氏は言いました。「すぐ行け、アフリカがお前を待っている」。


卯木氏はちょうど独立したばかりのエジプト大使館が東京で開かれたので尋ねてみると、すんなりビザがもらえました。


「取りあえず行けば何とかなるだろう」。主力商品であるトランジスタ携帯ラジオのサンプルを鞄に詰めて、卯木氏はアフリカの地に辿り着きました。




SONY製のトランジスタラジオ。画像は1962年製造の革カバーで包まれたTR-817型ラジオ(Joe Haupt, 2020)。


「5ポンド作戦」で独立前夜のアフリカを渡り歩く

植民地支配から独立へという機運が広まり、アフリカが激動の時代にあった当時。日本企業はおろか日本人さえほとんどアフリカにいませんでした。


そのような状況で、卯木氏はカバン一つでアフリカ行脚を始めます。


エジプトから東アフリカを経て西アフリカへ。各国のビザは大使館に赴き、5ポンド紙幣をパスポートに挟んで職員に渡すと、あっさり許可が下りました。同じ作戦でどんどん隣国へ渡り歩き、半年もの間、ずっとアフリカ中を回りました。


行く先々で日本に照会してきた店から、目星をつけておいた店の経営状況等を、商工会議所や銀行で調べ直しました。信用できそうだと確認すると、電話を1本入れて「やあ、来たよ」とお店に行き、店主と話をつけていくのでした。


知られざる日本初のリープフロッグ事例


卯木氏の仕事は元々、代理店契約をする候補店を選ぶことでした。毎日、訪問した店の現状やビジネスの可能性を、手紙で日本に送り続けました。


しかし、現在よりずっと遠いアフリカで、当然返事はありません。電話や電報を使っても、通信状態が悪くて通じません。


一方アフリカではSONYのラジオが大人気でした。すぐにでも取引開始を望む店が後を絶ちません。結局、アフリカでは日本からの返事が満足に届かない状況で、取引を開始していきました。


なぜアフリカでSONYのラジオが人気だったのでしょうか?2023年現在でも、アフリカでは十分に電気が普及している訳ではありませんし、停電がよく起こります。


ましてや1959年当時、電気のないアフリカでは、乾電池で動き、いつでもどこでも使える携帯ラジオの需要が非常に大きかったのです。


このような状況で同社のラジオは人気を博し、その後は「日本といえばSONY」と認知されるにまで至りました。


当時のアフリカ諸国の背景を考えれば、今よりもずっと所得水準が低かったため、ラジオが広く庶民の家庭に行き渡るまではかなり時間がかかったでしょう。


ただし、それまでコンセントにつなぐ据え置き型ラジオすら十分に普及していなかったアフリカにおいて、おそらく日本企業として初めてとなる、時代を先取りした画期的なリープフロッグ事例といえます。


SONYが1955年に開発した、日本初のトランジスタ携帯ラジオ『TR-55』のカタログにはこのような説明文があります。


『ラジオはもはや、電源コード付きの時代ではありません。ご家庭のラジオもすべてTRとなるべきです。皆様のお好みの場所に、TRはお供することができます』。



前編ではSONY社のアフリカ市場に進出した始まりについて紹介しました。後編ではその後の同社の進出経緯についてまとめます。


出所:

1. ソニーグループ株式会社、Sony History第1部、「第6章 トランジスタに“石”を使う<トランジスタラジオ>」、2023年10月19日HP閲覧(https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-06.html

2. ソニーグループ株式会社、Sony History第2部、「第15章 原点は設立趣意書」、2023年10月19日HP閲覧(https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-15.html

3. UNESCO, 1963, “Statistics on radio and television, 1950-1960”

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